
西郷隆盛が起こした西南戦争と同年からあるんだって〜
本記事は福島・猪苗代にある旅館「ホテルみなとや」が運営する湖テントサウナの体験記です。
記事公開:2025.09.10
最終更新:2025.09.23
パンデミックの終わりが見えはじめ、私たちの気持ちもようやく外に向き始めた2022年の夏の終わり。
花粉を真っ向から受け入れるほどマスク嫌いの私が、マスクの生地にこだわりだすくらいには異常事態だったことを写真から思い出す。
昔話にするにはまだ早いが、日常に上書きされ継ぎ足したホッピーのように当時の風味が薄まっていることに気がつく。
大それた思想もなく「電車で通話するな」と同じくらいの視座でルールを守っていた私だが、ともあれ気兼ねなく遠出できることに只々浮かれていた。
大した距離ではないのに無駄に栃木の健康ランドに前泊したのがいけなかった。
こういう時に限ってAirPodsを忘れてきた私は、地方の健康ランドに棲みつく怪獣に眠りを阻まれ、予定外のバッドコンディションでこの旅を始めることになった。
ちなみにこの時泊まった足利健康ランドについても記事にしている。

ハンドルを友人の放り投げ、少しでも回復を図ろうと助手席にもたれかかっていたところ、後部座席のコイツが昨晩の怪獣の中に紛れこんでいたことが判明し、思わず手が出そうになる。
ツヤツヤした肌でソーセージマフィンを頬張る顔に憤怒した私は、あらゆる角度からいかにイビキが害悪であるかを捲し立てたのだが、彼の興味はハッシュドポテトにしかないようだ。
席順が逆ならこの手で裁きを加えてやるところだったが、運のいいやつめ。
楽しい会話をBGMに、私たちを乗せたXVは東北道を下っていく。
貴重な睡眠時間を失ったことにも気づかずに。
2時間ほど車を走らせインターを降りると間もなく、猪苗代湖の長い水平線が左手に広がる。
野口英世記念館を通り過ぎ、湖を時計に見立てて11時あたりでお目当ての「MINATOYA SAUNA」に到着する。
荷卸しする駐車場からは砂浜に立っているテントサウナが見え、一層期待が高まる。

来店に合わせて暖めてもらっていたMORZH®︎製のテントサウナはすでに勢いよく煙を吐いている。
水着で砂浜というシチュエーションからか、なぜか準備運動を行い、満を辞してテントに突入する。

室内はまさに灼熱。あまり見たことのない角度に振り切った温度計は120℃近くを指している。
動物的本能が逃げろとアラートを出してくるが、碇シンジさながらの理性で恐る恐るエントリープラグへ向かう決意を固める。
やはり男とは愚かなプライドの生き物で「あ、慣れたわ」とか言っちゃうのだが、誰も出づらい奥には座りたがらない。
突入順から奥に詰めるという無言の圧力が働くのだが、後部座席の怪獣は持ち前の太々しさで悠然と最後尾に並び直す(この野郎)

1セット目、先に表皮が根をあげ退散しようとするが、これまた先頭の怪獣がテントサウナ特有の「ジッパー根性焼き」の被害に遭い脱出が遅れる(ざまぁみろとか言ってられない)
なんとか外に出て、数分ぶりの空にショーシャンク的解放感を感じたまま、10mほどダッシュし猪苗代湖へダイブする。
入水の勢いが全身の汗と熱を103.3㎢の水風呂に溶かす。
なんと爽快なことか。
流れていくサンダルを追いかけるのは後にして、淡水の浮力不足を緩いバタ足で補いつつ、しばらく広い空を仰ぎながら風向きに身を任せる。
土曜日。朝9時半。
もう一度言おう。なんと爽快なことか。

完全に元を取ったことを確信した私は、優雅にお隣さんのカップルの会話を盗み聴きしながら多幸感を堪能していたのだが、人間とは欲深いもので15分もするとセカンドインパクトを起こしたくなる(しつこい)
さらに不思議なもので、耐性がついた2セット目には膝以外に視線を配れる余裕ができ、テントの広さや2段式にしてくれたこと、W薪ストーブシステムなど、MINATOYAの本気を受け取ることが出来た。さすが福島No.1。

当時の私は初めてのレイクテントサウナにはしゃぐ事しか出来なかったが、ここMINATOYA SAUNAは「トウホグ蒸祭」というサウナフェスの会場になっていたり、冬は雪景色を味わえたり、サ飯で牡蠣を食べれたりするらしい。
余談だが運営する「MINATOYA」は1877年創業とのことで長い歴史がある。
夏は合宿所、冬はスノボ拠点、オールシーズンでサウナという時節対応。サウナイベントへの参画と海の幸のサ飯化。いい感じのwebサイト。そして何より名称の変更。現オーナーの手腕が伺いしれる。
さらに余談だが「トウホグ蒸祭」という名前が東北らしい抑揚のないズーズー弁から来ているであろうことが解ったのは、私が盛岡クォーターだからだろう(決して最近サンセットサンライズを観たからではない)
再訪することを深く誓った。
今回そのまま宿泊しなかったのには訳がある。
というのも猪苗代は部活の夏合宿で毎年訪れていた「がむしゃらな努力」を象徴する街なのである。
私たちはMINATOYAから10分ほどにある「アットホームおおほり」に向かった。


バドミントン部というと、体育会系と文化系のゼロ地点に位置する温室スポーツという印象を持たれがちだが、断固否定する。
酸素を取り込む間もなく30秒ほどダッシュとジャンプ、屈伸運動をくり返す超過酷スポーツなのだ(そして新幹線を越えるシャトル速度であることを持ち出す選手は大した実力がない。私のように)
あの頃の凝縮された瞬間に懸ける努力と、今の薄く伸ばした継続する努力の比較に虚しい成熟を感じる。
張り付いた肩甲骨と岩石のような股関節をロボットのような挙動で必死に動かし、居合わせた地元のおっちゃんにボコボコにされながら、徐々に呼吸を取り戻す(がその前に体力が尽きる)
もはや悔しさも不甲斐なさもなく、当時ならぶっ飛ばされていた体育館のセンターに大の字で寝転ぶという禁忌を侵してやった。

ささやかな夢を叶えた私たちは、年次順も時間制限もない本日2回目の浴場で汗を流し、顧問だけに配られていた瓶ビールを飲み干す。
学校名でしか私たちのことを覚えていない女将は、息子嫁にバトンを渡したらしい。
15年という歳月を実感したが、コロナを乗り越え経営が続いていることがただ嬉しかった。

当時、消灯後に隠れてモバゲーをいじっていた部屋に戻り寝支度をしている隙に、あっという間に怪獣が唸り始める。
溜まりに溜まったこの恨みをどう晴らしてやろうか。
凄惨な制裁のアイディアを考えているうちに意識が遠のいていく。
最高な1日に免じて、今日だけは勘弁しておいてやるか。
ホテルみなとや/MINATOYA SAUNA
※記事の内容は取材当時の情報に基づいています。
そろそろ6分
分も見てくれてありがとう!
またのご利用をお待ちしております




